いいブログ名がおもいついた!

思いついた事を書きます!

【わかった事】人の目を気にするという事は「社会」にとって大切

私の人生の最終目標は、いくつかあるが、

いつの間にか心に巣食っていたのは「人の目からの解放」である。

 

人の目が気にならなければ本当の意味での自由が手に入るような気がしてならない(笑)

いわば海賊王のような自由な感じか?

 

例えば、街中で街路樹に上って周りの景色を見たい衝動に駆られたとする。

しかし上らない、、、なぜか、、、「恥ずかしいからだ」

 

「上りたかった自分」という本来一番大切にしないといけないであろう人を、

クソどうでもいい他人の為に殺すことになると考えているが、どうでしょうか?

 

特に迷惑もかからない状況でも、どうでもいい他人の目線を気にして、寿命を迎えてこの世とおさらばをする。

 

その方がとても滑稽に見えるのは私だけであろうか、、、、、?

 

とかなんとかたまに考えながら生きている、だけど私の根底にはその気持ちが常に巣食っている。

※巣食っているという表現は初めて使いましたが、あってますか??(怒)

 

そこまで「人の目」こだわる理由は、

私がとても「八方美人」や「嫌われたくない」「必要以上に人の目を気にする」という強いコンプレックスがある人間だからとおもう。

 

小学校の時には、「こいつに嫌われているのではないか?」と勝手に被害妄想をしてしまい、そこまで友達でもないクラスメイトに、お気に入りのシャーペンをあげた程だ(笑)

あとは今考えると、いかに自分を殺して相手の機嫌を伺ってきたかがとてもわかる。

 

そこから「他人の目を気にする」はどこから来ているのか?

その先には何があるのか?を身をもって実験することがたまにある。。

 

①ギターと歌ががへたくそなのに街中で路上ライブをした

②繁華街の真ん中で童謡をアカペラで歌った

 

という事をした。

 

①に関しては、決心するまでにギターを持ちながら何食わぬ顔で、その周辺を2時間うろうろした上に吐きそうになった。

②に関しては、少し迷ったが意外とすんなりできた。①の経験があったからであろう

 

それぞれやってみて、、、、、、、、

達成感、すごい高揚感があったが、、、、何かが変わったとは思えなかった、、

 

しかし、こういうして、考えているとある日ふと思ってしまった。

「嫌いな人をぶん殴っても良いのではないか?(笑)」

もちろん好青年な私はそんなことはしない。

 

しかしふと「自分でもやりかねない」と頭をよぎってしまった。。。

「怖ええええええええええええ or 恐ええええええええええええ」

 

①②の体験を通してほんの少しだが、「自由に」なった気がした結果であったのではないかと考えている。

 

そう考えると、そういう人が増えると、自由な人が増えると、社会が崩壊する(笑)

 

あちらこちらで、人目を気にせず物を壊すし、上司をぶん殴り、たっしょんをする世の中になる、、、、、、、と思うがどうでしょう???

 

そんなことは起こらない、「教育」の成功ではないか?

「ひとの目をきにする」良い教育をされてきたのであろう。

ホントにそのお蔭で、社会人として働けているし、結婚もできた。

まじ感謝!!!

 

しかし、ここからは「バランスを見ながら」ではあるが、自分の殻を

破り、自分の内部へ冒険の旅に出ようと思う。

今まで殺してきた自分の分も背負って、いろんな自分に会いに行く!!

楽しみだーーーーーーー

たぶんめっちゃ疲れるけど(笑)

以上

 

くらえ長文!!!!!!(笑)

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